NHKドキュメンタリー『けものみち』感想





先日NHKで放送された、京都で狩猟を行う男性のドキュメンタリーが面白かったです。
どうしても読者目線で見てしまう部分もあるのですが、ああ山に入る人は誰しも考えること感じること喜ばしいことつらいこと自然への畏怖や敬意、同一なんだなと思いました。この男性を通して狩猟を行う人の息遣いや職業としての人格を見遣ることができたように思います。



以下観ながらとった走り書きメモに感想を足したもの


「ナレーションのない45分間

どうぶつが殺められるシーンがあります
ストレスを感じる方は視聴をお控えください」



静まるテレビ画面は今から恐ろしい話が始まる予感を光で発信する


千松さん。京都の会社員で週4日働きメインは山での活動。


「解禁日前は集中力が高まる」
静かそうな男性が語る。

*くくりわな
素材はワイヤーになったけれど、明治時代とほぼ変わらないアナロジーな手法
アシリパさんと同じ説明、映像と図解でわかりやすく解説


「人工的な人間的なにおいを消し、結局獣との化かし合いをする所はある」
ということは、テレビクルーが数名機材を持ち込んで同行するのって相当厭なのでは
機械は匂いが強そう。
獣は目より鼻で判断するので罠を仕掛けるときはなるべく滞在時間を減らしたい
枝を置いてわずかなストレスを誘発



残された足跡をみてどんな動物がいてどの位の体格でその場でなにをしていたのか判断できる。
「足跡をみると輝いて見える、イメージがみれる」
輝いて見えるんだ、すごい

おそまの触り方も....!棒でつんつん
ちょっと嬉しそう


*山の神様がいる場所
元々は地元の人から信仰されていた神さま
10年くらいきてるけど地元の人が訪れた形跡はない忘れ去られた神さま

日没とともに動物は動き始める
毎日山みっつ罠を確認する日課罠にかかってからすぐに見てあげないと苦しむ時間がながくなるからかな

3日目でイノシシが罠に引っかかってる
つんざくような高い悲鳴が山に響く。
「はよとったらな痛そうだ痛そうだ」
その場で生えてえる細い木を切り取り棒を作ってイノシシの頭叩いて気絶
 的確 三発「あんじょう(静か)にしとけ」

「ちょうど上に神さまが居る場所だった
挨拶してよかった とらしれくれたのかな」

獲れた猪を小さなナイフで解体する
胆嚢、山の方では薬として使ってる
(漫画でみたヒグマの胆嚢と形大きさそっくり!)


解体は山の小屋で数人で行う

*猟を行うきっかけ
自分でたべるもの自分で調達したい
人間があまり好きではなく 動物と生活したかった
人間は生態系から外れちゃってることに違和感を感じ続け。動物っぽくなりたい願望
人間である自分のことも嫌いで、動物の仲間に入れてほしい 動物との距離を縮めたい

誰かに殺してもらった肉を食べる自分が厭だ

どんぐりがいっぱいなった年は肉がおいしい!

千松さんはまだ若いのに既に悟ったような雰囲気がある さらさらしている
人間味が薄いというか、我々より上の次元に行ってしまわれた人の印象がある
自然と共存していた昔はこういう人も多かったのかもしれないけれど、今ではこのような表情を浮かべる人はほとんどみかけない

*薬
ムカデを油につけて溶かしたもの
ムカデに刺された時の特効薬となる、香りは強い

*みつばちを飼育している
女王蜂 一瞬で個体をチェックできる
めがいい!?見るとこよい!?すごい

 年中満遍なく蜜が取れる環境が大事 ソヨゴという木
ミツバチが与えてくれたもの「人間的でない違った視点から自然を見つめる目」
人間にとっては当たり障りないあってもなくても良いものが自然観点から見詰めるとありがたさや循環、機能性が見えてくる


*京都、都市に出現増える
40年前はイノシシ少なかった時代で130万で売れたこともあった
千松さんは仕事でお金稼いでるから狩猟でお金取ってない。
国家予算毎年度5億円 「永久防護対策」を実施している森と居住地に柵を作り北海道から九州まで横断させる計画
地元の人「柵だらけ 人間が柵の中におるようなもん」
進撃の巨人みたい

*駆除した動物は焼却処分される現実
2年前稼働しはじめた新しい施設
「有害鳥獣駆除」 一般廃棄物 16千万を国から補助
 施設で毎年6000頭※計画6割増し 国年間84万頭駆除

国は ジビエ料理を推奨している
でも消費者は鹿肉と牛肉があれば継続して牛肉を選んでしまう
おそらく、加工するにも保存するにもコストがかかり採算が合わないのでは

骨の灰も産廃業者に引き取ってもらう

「命を貰うことに心が慣れることはない
迷い葛藤は今後もなくならない
自分友人家族分け合うために彼らの命を奪っている」

この人らが解体して食べた骨どうしてるんだろ、埋めてるのかな


*さらさらとした千松さんにも執着心や闘争心がみえてきた

去年とれなかったやつ 、今年こそとりたい母親イノシシ
この山に君臨するイノシシは3年前から狙いをつける
 長年生きてきて子育てしてる知恵からめちゃくちゃ賢い 
「狙い甲斐がある」
二瓶や谷垣に見えた勝負の心が大人しそうな千松さんにもあった
雰囲気思想空気感まったく同じだと思った
野田サトル先生が取材を行った猟師の方も同じこと言っていたのかもしれないと想像した
形跡だけで「あいつ」とわかる なにしたかわかる
おそまみるとテンションあがる ええ、漫画で習ったことが出るわ出るわすごい

母親を狙って仕掛けた罠を確認するとおそまが落ちてる
「罠の近く 罠わかってますよと言うてる」
獣からのメッセージ、ああああ、漫画でも読みました

翌日からぱったり気配を消した母イノシシ一家
「変なの(テレビクルー)いっぱい引き連れてるのわかってる」
密着嫌だったんだ 1人だけで入りたいと打診し頭にカメラを着けて山に行く

違うイノシシが罠にかかっていた
驚くことに、千松さん病院から足を骨折させて登場 よく1人で山降りたなすごい


小さい子「これがいのしし?」
女性「そう千松と一緒に落ちた
            命あってよかった」
小さい子「足が3本しかない」
千松「このイノシシ、昔罠にかかって足が欠けた。そんで俺も足怪我した」

おあいこ、みたいな
もしくは山の神さまが足を持っていってしまったのかな
なんというか、「報復」には感じなかったかわりに「因果」という言葉が浮かんだ

千松さんは予定していたボトルを埋め込む手術をやめた
お医者さまによると「最悪足首がぐらつくの残るし、山歩きするなら手術した方が良い」
千松さんは「治すのはずるい 受け入れる」と言った。
「ピカピカに治してイノシシと対決しても違う」
自然的というのか流れに身を任せているというか、とはいえ現代の文明を放棄するようにも見えない彼の姿勢は山に生きて山に死のうとしているようにみえた。

対等に渡り合う イノシシの鳴き声、もののけ姫と一緒だ!!!!!
モヒカンもある、すごいな

京都の祇園祭りで有名な大文字山は、江戸時代はつるつるとした白いはげ山で、かつては薪木など生活に必要な樹木を伐採していた
現代はそうしたことが必要無くなって木が鬱蒼と茂るようになった 
山に入ることはスマートではないと高度経済成長期にそういった風潮が出て、嘗て行っていたことを現代の人はしなくなってしまった 忘れていく?なくなる、神さまも。




千松さんは骨折から一ヶ月半で歩けるようになり再びその足で山に入っていた


「必要以上に取っても仕方ない
お母さんはまた来年」





すごいドキュメンタリーだと思いました。
45分の構成なのでほんのちょっぴりしか映し出されていないけれど、強烈で、目を逸らしてはいけない事項がきっちり簡潔に浮き彫りになっている。生きることと同時に人間であることの自覚がそこにはあった。

この千松さんのしていることは
人間として生まれた以上無視することのできない根幹部分にあるものを抉り出し、日本の山ではかつて自然の恵みに頼って命を繋いでいた時代のに芽生えた信仰の在り方を見た。
宗教は人を律する爲に存在しているけれど自然崇拝は自分と土地が繋がって生きるごく自然な感情の芽生え、人間らしさに思えた。

豊かで便利になった時代に生まれてしまったので、命をいただくことへの感謝や苦労を知らずにここまでほぼ毎日なにかを糧にしながら体をつくって生命を継続させている。たぶん、大事なものを忘れてしまったのではなく知る機械を殆ど与えられないまま受動的に用意され切り刻まれ加工され日の経った「原型の留めていない一部」のものを戴き消費してゆくシステムに私は無意識に組み込まれている。

ある小説で、「大事なことよ。省くのは簡単だけれど、そうして躊躇や手間、地味で面倒な作業だけれど」と家族のためにチキンを捌き手間暇を慈しむ母の姿を描写した一文にすごく感銘を受けたことがある。

私たちはタダでご飯を食べているわけではない
でもいくらでも無限に綺麗事を並べて消費することすらできてしまう、生が当たり前であることが不自然なのだ


ゴールデンカムイの杉元佐一は躰の傷跡より深いトラウマを心に抱えている。
いくつか、GW中に戦争映画を見た。PTSDに苦しむ兵士達が故郷に帰っても心が戻らず何度も戦場に引き戻されストレス負荷のかかる環境下に身を置き、失われていく人間性を実感しながら止められない苦痛を描いていた。グロスマン著書の「戦争における殺人の心理」にインタビューに答えた退役軍人が昼間はすっかり忘れていても毎夜戻ってくる(夢で繰り返す)と書かれていて、そのようにして杉元も、映画の主人公達もみんな悪夢に魘されて苦しんでいる。人として非ずになってしまう恐怖、失いそうだと分かり己の嘗てあった人間性に光をみて現状に絶望し付き合っていかねばならない病気のように考える。
アシリパさんの山での過ごし方はそういった大切なものを取り戻してくれてるんだなと思った。漫画を読むにあたり言葉と記号で尤もらしく解釈はしても理解するには心が遠かった。
今回この人の密着をみて、少し近づけた気がする。



私が強烈に興味惹かれたのは生きることや美しく厳しい自然ではなく、千松さん自身にある。人間だから、人間の生き方に興味を持った。漫画を読んで漫画から感じたこととドキュメンタリーを見て感じたことが重なった。二つの媒体も色んな人の手が加えられているにも関わらず、純粋な部分は揺るがず貫いて透き通った透明な情報があるものなんだなぁと思った。よくわかんない感想になっちゃったけど、みんなにも観て欲しいな。

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