160話感想 ゴールデンカムイ


ハラキリショーの余韻が残るゆったりした先週から
急に物語が、キロランケの過去がぶっこまれて動揺しています

以下メモ走り書き

*バンバンヘッドショットで馴鹿を撃ち殺す尾形
迷いね〜なあ 苦しませねえやりかたが尾形の最大の優しさだよな〜
(やさしい=良いとは限らない例)
4巻では一頭のユクを仕留めるのに葛藤し何度も狙撃失敗を繰り返し
結果的に日をまたいで苦しませてしまった杉元とはえらい対照的だと思いました
先週の「動物も人間も一緒なんだな」ってさらりと言う台詞めちゃくちゃ怖くないですか
変な見方をすると、動物も人げんもみんな平等に扱ってるし、それはアシリパさんと同じ感覚
そのアシリパさんと尾形も生と捉えるか死と捉えるかで違うんだけど、
なかなか現代人にはわかりづらい視点を持っていると思った
また5巻の鶴見隊から逃走するためにわざと重傷を負わせる芸当も器用だよね
殺人に関して作中で最も自信を持っているのが尾形だわ
連続殺人者全員ががかならずしも趣味による快楽殺人とは限らないし、そういってしまえばシリアルキラーサイコパシーともまたカテゴライズするには別次元にいる尾形百之助氏。この世で最も重たい罪尊属殺しに代わりはないけどね。
尾形はスプリーキラーとしての才能はピカイチだよ
スナイパーという神からの授かりものの才能、滅多にないからな
杉元や辺見は肉弾戦なので殺した数だけ罪の意識が募り苦しむ「殺しの実感」が強くその拳や肌や感覚として脳に刻まれるが、狙撃の点においては、「距離」というフィルターと「トリガー」という実感の薄さにより尾形という人物を「殺害実感」から遠退けてしまい、98%の人が潜在的本能的に持ち得ている罪の意識を和らげて連続殺人に仕立てやすいことにあるとおもう。花沢中将自刃偽装事件こそが尾形にとっての本当の殺人事件に相当する。そして今や軍を逸脱した存在になっているので、戦闘行為における戦争殺人から懸け離れ法律の観点から殺人罪の適応…となるわけだけど、時代の動乱に揉みくちゃにされて、人を殺した数だけ不本意ながら英雄になってしまうのかなとも思ったり、今は断罪人ポジションかなと。断罪人はみんな飛び道具を使って私刑を遂行する。


*ベルダンM1870
銃のことを調べると三毛別羆事件で有名な山本兵吉が愛用していたライフルみたい
日露戦争時主にモシンナガンと単発小銃ベルダンを使用していた露兵の象徴
良い性能を持った銃を手にすると嬉しそうな顔をするよね
尾形って無表情で分かりづれえタイプだけど微妙な描きわけが読者の心を掴むのかな

*アシリパさんの変顔集に新しいコレクションが加わる

*脳みそので頷く尾形無理 面白すぎ
ここまでほとんど尾形にしか触れられてないくらい尾形

*天幕の中あったかそう

*キロランケの小技は上手いね

*はあそうだった ほのぼのしてて忘れがちだけどアシリパさんは今やべえパーティに組み込まれてるんだった
杉元パーティの構成もやばいっちゃやばいけど今なんてより一層ヤバさ凝縮なんだよなぁ
一人は脱獄囚、一人はテロリスト、一人は脱走兵かつ連続殺人者
そして、死刑囚として網走に収容されていた男の娘がアシリパさん

*ウイルタ族に扮装し密入国を遂行する作戦のキロランケ

*ウイルタの刺繍 可愛い ハートを基調としたデザインなんだよね白石似合うな〜

*1881年 当時の首都サンクト=ペテルブルクブルグで皇帝暗殺事件
殺害されたのはアレクサンドル2世、農奴解放令を敷いた皇帝ですね
史実によると実行犯の男はポーランド出身の革命家イグナツィ・フリニェヴィエツキ。
ツァーリめがけて爆弾を投じ自分もろとも皇帝を殺害したそうです。






彼についての日本語についてのプロフィールがなかったので英語版とロシア版wikiから引用


イグナツィ・フリニェヴィエツキ


ロシアの革命家でありポーランド系である。友人によるとアイデンティティはリトアニアであるとも言われている。
フリニェヴィエツキ1856年現ベラルーシにあるミンスク県生まれる。ミンクスは帝政ロシアの県である。
彼はリトアニア大公の高貴な家の出身であり父は経済学者である。性格は穏やかで優しく、戦闘に向いていない青年であった。正義感に溢れ、また熱心なキリスト教の信者でもあった。彼は友人らから親みをこめて「Котик(子猫)」というあだ名で呼ばれていた。
1875年サンクトペテルブルク工科大学に入学し、学生革命運動に参加。 
1879年ロシア革命のナロドナヤ・フォルヤ(人民の意志)運動に参加。22歳
当時革命家の間には多くのポーランド人がいた。 彼はポーランド語を完璧に操りカトリック教徒であることを自分自身Litvin(ポーランド語で「リトアニア人」を意味しリトアニアの旧大公で自分を識別するスラブ人を指す。 この用語は歴史的な文脈で民族ベラルーシ人を指すかもしれないと呼んでいた。 
彼は秘密裏に印刷屋に務め、違法に労働者の宣伝を広める活動を行なっていた。
1880年講義に出席しなかったため研究所から追放される。
1881年2月フリニェヴィエツキは、アレクサンドル2世の暗殺部隊に加わる。このとき24歳
1881年3月13日、皇帝は2人乗り車で旅をしていた。キャサリン運河の近くの路地に近づくにつれ、ソフィア・ペロフスカヤはニコライ・リサコフとティモファイ・ミハイロフに爆弾を投げるように告げる。皇帝は無傷であったが、2名が負傷した。皇帝は負傷者を確認するために貨車を離れることを主張する。この時点で運河のフェンスの手すりに傾いていたフリニェヴィエツキは、両腕を持ち上げて爆弾を投げ、皇帝は死亡する。フリニェヴィエツキ自身も爆発から大怪我を負い意識を失った。
フリニェヴィエツキは冬の宮殿に付随する診察室に連れられる。
午後9時に彼は一度意識を取り戻し、警察に質問をされても「私は知りません」と言い、午後10時30分に死亡した。
この暗殺は革命を起こすためのものだった。ニコライ・キバリッチ、ソフィア・ペロフスカヤ、ニコライ・リサコフ、ティモファイ・ミハイロフ、アンドレイ・ゼイラボフなどの同胞たちは、1881年4月3日に死刑判決を受け、匿名の共通墓地に埋葬された。

ロシアの記事のコメントです

暗殺の歴史はあいまいです。フリニェヴィエツキは誰も殺さなかったが、皇帝自身を殺した。
しかし、彼の名誉のために通りを呼び出す価値があるのでしょうか?ヒーローや犯罪者の歴史のために彼は誰ですか?



史実の実行犯は裕福な階級出身ではあったが、ロシアの圧政から解放運動に参加し24歳暗殺計画に加わり実行しました。
アムール川流域少数民族出身を自称するキロランケとプロフィールは少し異なるように思います。
実際に彼は皇帝暗殺の際に死ぬことなく生き延びて北海道の地に逃れています
犯行当時キロランケは10代前半でした
幼さの残る年齢の彼がなぜ、と思いました。炎628でも主人公は10代前半でパルチザンに志願しようとし、断られます。この主人公は村に戻るとナチに焼き討ちに合い家族もろとも村人全員虐殺されもう一度パルチザンに加わります。

*鶴見中尉情報将校さま〜〜〜〜〜〜〜〜〜かっこいい
*お父さん 死んじゃったかなしい
*ああ〜アシリパさんを死なせないようにするお兄さん〜〜〜〜〜
*怒涛の展開に脳が
*尾形の強運は死ねないという強い呪いを父親にかけられたからだとおもうわ(まーた)
*父上の呪いのおかげも一役かってるよ 



尾形とアシリパさんは安藤冬衛の「てふ」を思い出すよね


杉元出し抜いて韃靼海峡を渡る銃を持つ兵士と平和を願う少女蝶の構図はかの有名な詩を連想させます



コメント